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江戸(えど)時代には、男性(だんせい)の髪形(かみがた)といえばちょんまげがふつうだった。しかし明治(めいじ)時代に入って、1871(明治〈めいじ〉4)年には、まげを結(ゆ)わず、腰(こし)に刀もささないように、という散髪脱刀令(さんぱつだっとうれい)が出された。西洋人のような短い髪形(かみがた)にすることが、近代化の印(しるし)だと考えられたからだ。
それをしめすように、「ざんぎり頭をたたいてみれば 文明開化の音がする」という歌がはやった。ざんぎり頭とは、ちょんまげを切りおとし短くした髪形(かみがた)のことだ。
一方、女性(じょせい)は、明治(めいじ)時代になっても、江戸(えど)時代からの日本髪(がみ)という髪形(かみがた)が多かった。

こどもたちが全員、小学校に通うように決まったのも、明治(めいじ)時代だ。
江戸(えど)時代には、町民(ちょうみん)や農民(のうみん)のこどもの勉強の場、寺子屋があった。ただ、学校というより個別指導(こべつしどう)の塾(じゅく)のような場所だった。
明治(めいじ)時代に入ると、政府(せいふ)は、すべての人に教育を受けさせるため、全国にたくさんの小学校をつくった。西洋の先進国とならぶ国になるには、国民(こくみん)の教育がたいせつだと考えたからだ。
しかし、農村などではこどもも大事な働(はたら)き手だったことや、毎月の授業料(じゅぎょうりょう)がはらえないため、学校に通えないという問題があった。とくに女子が通うのはむずかしかったんだ。
こうした問題をなくすため、授業料(じゅぎょうりょう)を無料(むりょう)にするなど、何度か教育制度(きょういくせいど)をかえていった。明治(めいじ)の終わりごろには、ほとんどのこどもたちが学校に通えるようになったんだ。 |