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2012.5.18
【今週のホットリンク】を更新しました。キーワードは「東京スカイツリー」です。東京スカイツリーについて調べてみよう。

2011.3.15
【今月のもっと知りたい】
「知りたい! 飛行機(ひこうき)」
大きな翼(つばさ)で風を受け、大空をまう姿(すがた)はとてもかっこいいよね。この空を飛(と)ぶ乗り物について調べてみよう。

 

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トップ 今月の「もっと知りたい!」 >「暮(く)らしと文明開化」〜近代化のはじまり〜
「暮(く)らしと文明開化」〜近代化のはじまり〜
西洋の文明が入ってきた
まんが 西洋の文明が入ってきた
開国と新しい時代のはじまり

 江戸(えど)時代、日本は200年以上(いじょう)にわたって、かぎられた国以外(いがい)とは貿易(ぼうえき)などのかかわりをもたない鎖国政策(さこくせいさく)をとっていた。 ところが、そのあいだに西洋諸国(しょこく)では、産業(さんぎょう)や工業の機械化(きかいか)が進んでいた。そして、アジアに進出するようになっていったんだ。  ついに、1853年、アメリカのペリー率(ひき)いる艦隊(かんたい)が、交流を求(もと)めて日本にやってきた。  江戸幕府(えどばくふ)はこれを1度はことわったが、ペリーが軍艦(ぐんかん)から、空砲(くうほう)数十発を撃(う)っておどろかせると、幕府(ばくふ)は西洋との力の差(さ)を知らされたんだ。  翌年(よくねん)、日本とアメリカのあいだで日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)がむすばれ、ついに日本は開国した。  開国すると、外国との貿易(ぼうえき)が活発におこなわれるようになった。しかし、人びとの不満(ふまん)が高まり、開国をうらむ声や、幕府(ばくふ)の政治(せいじ)に不満(ふまん)をもつ人がふえはじめた。
 そして、世の中をかえるために幕府(ばくふ)をたおそうとする動きが、薩摩藩(さつまはん)、長州藩(ちょうしゅうはん)の武士(ぶし)を中心におこった。幕府(ばくふ)はこの動きをおさえきれず、1867年、政権(せいけん)を朝廷(ちょうてい)に返す大政奉還(たいせいほうかん)をおこなった。265年もつづいた江戸幕府(えどばくふ)が終わり、新たに、天皇(てんのう)を中心とした新政府(しんせいふ)が生まれた。明治(めいじ)時代のはじまりだ。
 明治新政府(めいじしんせいふ)は、西洋に負けない国をつくろうと考えた。西洋の制度(せいど)や文化を、進んでとり入れるための改革(かいかく)をはじめたんだ。

『月刊(げっかん)ポプラディア』2011年1月号8ページより
 
文明開化とは?

 明治(めいじ)時代のはじめ、日本が西洋を手本に、先進の国になるためにとられた政策(せいさく)と、それにともなう世の中の変化(へんか)を、文明開化という。西洋諸国(せいようしょこく)に追いつき、追いこすため、制度(せいど)だけでなく、文明や文化など、新しいものをどんどんとり入れたんだ。

『月刊(げっかん)ポプラディア』2011年1月号9ページより
 
産業を育てて強い国に

 日本が、西洋の先進国のような近代国家の仲間(なかま)入りをするには、国が豊かになる必要(ひつよう)がある。そのためには、国をあげて、いろいろな分野の産業(さんぎょう)を育てなければならない、と明治政府(めいじせいふ)は考えた。
 そこで政府(せいふ)は、1870(明治〈めいじ〉3)年に工部省(こうぶしょう)という機関(きかん)をつくった。そして、旧幕府(きゅうばくふ)や藩(はん)から引きついだ工場や鉱山(こうざん)を、国が直接(ちょくせつ)経営(けいえい)するようにしたんだ。
 また、西洋から外国人技術者(がいこくじんぎじゅつしゃ)(お雇〈やと〉い外国人)をまねき、近代産業技術(きんだいさんぎょうぎじゅつ)をとり入れ、官営(かんえい)の製糸(せいし)・紡績(ぼうせき)などの手本となる工場を各地につくった。これを殖産興業(しょくさんこうぎょう)というよ。
 この政策(せいさく)によって、国内の産業(さんぎょう)はめざましく発展(はってん)していき、工業国としての日本の基礎(きそ)ができあがったんだ。

 
月刊ポプラディア2011年1月号10ページより
 
暮らしが変わった!

 文明開化は、人びとの暮(く)らしに、さまざまな影響(えいきょう)をもたらしたんだ。

洋風建築物が続々!
 1872(明治〈めいじ〉5)年前後から、東京や大阪(おおさか)など大都市を中心に、レンガづくりの近代的(きんだいてき)な洋風建築物(ようふうけんちくぶつ)が建(た)てられた。近代国家の仲間(なかま)入りをめざして、役所や学校などの公(おおやけ)の建物(たてもの)に西洋建築(せいようけんちく)がとり入れられたんだ。

写真 赤坂離宮(迎賓館)
フランスの宮殿(きゅうでん)などを参考(さんこう)につくられた赤坂離宮(あかさかりきゅう)(東京都港〈みなと〉区)。現在(げんざい)は国の迎賓館(げいひんかん)としてつかわれている(1909年建造〈けんぞう〉)。
 

男性の髪型が変わった!
 江戸(えど)時代には、男性(だんせい)の髪形(かみがた)といえばちょんまげがふつうだった。しかし明治(めいじ)時代に入って、1871(明治〈めいじ〉4)年には、まげを結(ゆ)わず、腰(こし)に刀もささないように、という散髪脱刀令(さんぱつだっとうれい)が出された。西洋人のような短い髪形(かみがた)にすることが、近代化の印(しるし)だと考えられたからだ。
 それをしめすように、「ざんぎり頭をたたいてみれば 文明開化の音がする」という歌がはやった。ざんぎり頭とは、ちょんまげを切りおとし短くした髪形(かみがた)のことだ。
 一方、女性(じょせい)は、明治(めいじ)時代になっても、江戸(えど)時代からの日本髪(がみ)という髪形(かみがた)が多かった。

小学校がはじまった!
 こどもたちが全員、小学校に通うように決まったのも、明治(めいじ)時代だ。  江戸(えど)時代には、町民(ちょうみん)や農民(のうみん)のこどもの勉強の場、寺子屋があった。ただ、学校というより個別指導(こべつしどう)の塾(じゅく)のような場所だった。
 明治(めいじ)時代に入ると、政府(せいふ)は、すべての人に教育を受けさせるため、全国にたくさんの小学校をつくった。西洋の先進国とならぶ国になるには、国民(こくみん)の教育がたいせつだと考えたからだ。
 しかし、農村などではこどもも大事な働(はたら)き手だったことや、毎月の授業料(じゅぎょうりょう)がはらえないため、学校に通えないという問題があった。とくに女子が通うのはむずかしかったんだ。
 こうした問題をなくすため、授業料(じゅぎょうりょう)を無料(むりょう)にするなど、何度か教育制度(きょういくせいど)をかえていった。明治(めいじ)の終わりごろには、ほとんどのこどもたちが学校に通えるようになったんだ。

『月刊(げっかん)ポプラディア』2011年1月号20、22、26ページより
 
→『月刊(げっかん)ポプラディア』2011年1月号には、
文明開化のようすをしめした貴重な写真や絵画資料がたくさんのっているよ。
関連サイト 今月の特集の関連サイトのほか、今月の月刊ポプラディアで紹介しているサイトをあげてみたよ。興味をもったらまずは調べてみよう
 
江戸東京博物館
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